ことのあらまし

日々のあらまし、いつか平気になるための記録

2024/4/12

外に出ない日は着心地のよさを優先して楽な格好をしがちだが、モニターに映る自分の姿がよければ気分も上向くだろうと、気に入りの服を手に取る。誕生日だからといって普段と異なる一日に自然となるわけでもない。

昨日ほどではないにしても頭のもやは晴れておらず、歯医者からの帰り道は歩くのも億劫なほど眠かった。矯正の計画用の型取りに、1万円とちょっとが飛んだ。

来週の自分が楽になるための筋道を立てて退勤。ガチガチとキーボードを叩いていたら同居人が鶏肉を焼いてくれた。風呂上がりにVERTEREのクラフトビールをグラスに注いでトロイカのチーズケーキを小皿に載せる。小ぶりで華奢なフォークがほしいと、思い続けて数年が経つ。

2024/4/11

昨日から頭がぼーっとする。風邪も疑ったが熱はない。こじらせるわけにはいかないから遅く出勤して早く退勤した。気晴らしにまだ明るい空の下を歩く。霊園の桜は散り始めていて、ベンチに腰掛けた膝に何枚も白い花弁が落ちる。がさりと音がして見上げると、ヒヨドリが枝を揺らしていた。

自分ができそうなことに目を輝かせてくれる他人がいる。その眼差しが支えだと思う。しかし意気込むのは控えたい。空回る姿がたやすく想像できるから。あれもこれもただの過程だ。気負わずさらりと終えればいい。自分で自分を貶めて、回り込むように保険をかけている。

鶏もも肉に塩こしょうとニンニクで味をつけ、小麦粉をまぶして両面に焼き目がつくまで炒めたら、しめじと一緒に牛乳と醤油その他で煮込む。パスタと和えるよりリゾットにする方がよかったか。昨日はブリを照り焼きにした。少しでいいから台所に立ちたい。何かはできると感じていたくて。

2024/4/9

知り合いかも、とアプリに薦められたアカウントのアイコンにぽつと触れると、華やかな白衣装に包まれた新婦とその隣で背広を着てはにかむ新郎の姿が目に入った。半年前に撮られたらしい写真たちを軽く眺め、フォローはせずにホームに戻る。何杯も水を足してにおいもしないほど薄めたはずの記憶に、色が戻ってくるようで首を横に振る。

海に投げた小石のように、空に飛ばした風船のように、本当はまだどこかにあるとしたってもう消えたのだと言って差し支えないものとして、過去は過去だとまぶたを閉じたい。今は今を生きるのに必死だし、すべてを覚えているのにもつかれた。彼も彼女も好きに生きていることだろう。それなら私も。

釜の蓋を開ければ縁までいっぱいに敷き詰められた米の上にキラキラと水気を含んだブリの切り身が横たわっていて誇らしげだ。骨を抜いてしゃもじで切るようにほぐす。塩気を含んだあまい香りがふわりと立ちのぼって鼻腔を湿らす。湯気を浴びる先から大丈夫になっていく気がした。

2024/4/8

髪が伸びて鬱陶しく、朝のうちに予約を取って夕刻に美容院へ。落ち着いたBGMが流れる色味の少ない空間の中、丁寧に施術をしてもらって穏やかになれた。気持ちが波立つことが多い。まだいろいろと不慣れだから。

いいからやれ、と思えてきていてまだいい。ヤケになっているわけではなく、恐れがなくなったわけでもないが、徐々に腹を括れてきている。不安なのも、わからないことばかりなのも、多かれ少なかれ皆同じだ。許せないものを自分のどの部分に最も強く見出すかの違いで。

チャイを片手に歩いて帰る。夜の空気は湿気を含み、もう梅雨の手前のにおいがした。

2024/4/7

今から会える?と言われて身支度の手を早める朝もたまにはいい。一歩踏み込んだ気さくさというか、人あたりのいい雑さというかがこの人にはあって、だから憎めないし、うらやましくも思う。夜勤明けのTと落ち合い、とり鉄で串をつまみながら近況を交換。

わかっていることとできることは違うということ。わかっているのにできないことがつらいということ。守りたいものを手放さないためにその他多くを捨てたはずなのに、その守りたいものすら守れていないこと。そんな自分が許せないこと。でも今さら後戻りもできそうにないこと。自ら飛び込んだガラス張りの檻の中をぐるぐると歩き回るような会話を、アメスピの煙とポルノグラフィティのBGMに包まれながら交わす。途上な人生や夢の話をしているときよりも、好きな音楽や映画の話をしているときの方が、彼は無邪気に楽しそうだった。

きっと気に入るよ、と薦めてもらったものはなるべく早く、まっすぐに受け取りたい。改札で別れてから銀座に向かい、喫茶店でしばらく本を読んだら日比谷のTOHOシネマズ シャンテまで。『落下の解剖学』は真相を推理するべく観るのではなく、確たる証拠のない中でも判決を下そうとする、あるいは下したがる人間の、その横顔を見つめる作品に思えた。

 

2024/4/6

東京国立近代美術館『中平卓馬 火ー氾濫』を観る。

言葉ではこぼれ落ちるものを掬い取るため写真家に転身した元編集者という出自や、雑誌のコラムに載せたり同人の作品集をつくったりしていた頃の鮮烈な一枚一枚に引き込まれた一方で、アル中に倒れて記憶が欠けたあとの晩年の作品は思ったよりも凡庸に見えたことを、気圧にやられて重たい頭を歯車でも回すみたいにじりじりと動かしながら神保町のレコード喫茶で話す。

通りの桜には青葉が増え、白と緑の相混じる様は大きな花束のようにも見えた。言うに憚られる夢を見た今朝の嘆息が、まだ喉元に沈んでいる。

2024/4/5

これで最後なんです、と言いながら手渡されたグレープフルーツジュースのグラスを早々に飲み干した。こんなにノンアルを頼まれるとは想像していなかったということか。しかし金夜の飲み放題である。仕方なしにQRコードを読み取り、スマホに映したメニューを押し上げ、烏龍茶とジンジャーエールを交互に頼む。周りの人たちは次々と頬を赤らめ立ち上がり、普段は話す機会を逃しているのであろう言葉をぽろぽろと、縁の欠けた発泡スチロールみたいにテーブルに落としていた。

役割や経歴といったものを脇に置き、その人自身の口から悩みやら弱音やらが発せられるのを見るとホッとする。いつもはモニターの向こうにいるこの人たちも、当たり前に実体を伴っていて、ちゃんと酔っ払うしちゃんと頭を抱えるのだ。ロボットでもアンドロイドでもなく、人は人だと理解する。

2024/4/3

土日を楽しみに待ち、押し殺すような気持ちで平日を耐え凌ぐ。そんな日々を送りたいわけじゃなかった。やりたいこともありたい状態もあって、それを得るための決断を重ねて今に至っているはずなのに、まだその実感を得られていないのは、まだその境地に近づけていないのは、私のやり方がわるいのか、はなから選択を誤っていたのか、ただそのときでないからか。しかし見限るにはあまりに早すぎる。まだやれることはある。

頭痛薬を飲んだけど気圧には勝てなかった。今日やろうを明日やろうに引き伸ばしつづけているけれど、フライパンに空けたトマト缶を煮詰めているうちは何も考えずにいられた。

2024/4/2

短い時間の中で小手先の技術を用いてどうにかなる話ではない。深く広く張り巡らされた根にどこを掘ってもたどり着く。頭蓋を中から殴られているようだ。外を無心で歩く。駅の隣に延びる公園未満の空き地で子どもが声をあげて遊んでいる。

天気がいいのは幸いだ。たいしたことないことでいちいち項垂れたり落ち込んだりしている自分まで、お天道様は等しく照らしてくれる。さっさと元気になって、蹴散らすように駆け抜けたい。

2024/4/1

頭痛がして少し横に。気晴らしを兼ねてスーパーまで買い出しに行き会計を済ませたところで突然の雨。帰れずに天を仰いでいたら在宅中の同居人が傘を携え迎えに来てくれた。

得意な土俵に、慣れたやり方に、持ち込めたら勝手が効くけれど、そこまでに手間取っている。ハンドクリームを何度塗っても、指先がかすれていく。

2024/3/31

朝6時にすっと目覚めて心地いい。昨日に引き続きの晴天をベランダから確認していそいそと洗濯機を回す。

友人の結婚式に向かう同居人を玄関で見送って読書にふける。真昼の陽気で部屋の隅まであたたかく、汗が滲むほど。網戸から吹き込むささやかな風を受けながらベッドに転がって薄い文庫をめくる日曜は、限りなく理想に近い。昼寝を挟みつつ『人間失格』を読み終えて17時。太宰治の文体は時代が移ろっても古びることなく読みやすいなと改めて。

昨日手に入れた黒のボトムにしばらく前に買ったグレーのブルゾンを合わせて外へ。水に溶かした墨のように少しずつ夜が染み渡る上野公園を進む。花見客はめいめいのブルーシートの上でまだ名残惜しそうに歓談を続けていて、臨時で増設されたゴミ箱の上では地域の商店の名前が書かれた提灯が灯されていた。照らされる白い花弁にスマホのレンズを向ける人々とぶつからないようにしながら道を行く。

高架下を抜け大通りを脇に逸れてさらに一本入ったところに目当てのギャラリーはあった。店の奥のほそい階段を降りると低い天井に塞がれた炭鉱のように黒い空間が待ち受け、その四方には淡く照らされた小さな写真たちが白い額に納められて静かに整列している。

写真家、井崎竜太朗さんの個展を観るのはこれで2度目だ。数年前に原宿でなされたそれは大判に刷られた作品が目立つコントラストの強い展示だったが、今回の『WHITE SPACE』は日々への慈しみや愛おしさを素直に綴ったような穏やかなものだった。光はいくら重ねても光のままで、重たさも嵩も増すことはないはずだが、それでも層のように積もるのかもしれない。胸のうちであれば。

2024/3/30

予報通りに晴れた。たまりにたまった洗濯物のすべてを洗うにはベランダが足りず、適当に選り分けて残りは明日に回す。同居人は吉祥寺で手に入れたセットアップをたいそう気に入ったようで、朝食を食べに駅前を歩く道すがら、ガラスに反射する己の姿を何度も確かめていた。

焼き魚に味噌汁、おひたしに卵焼きという旅館の朝食のような食事を日が差すテーブルでゆっくりと堪能。魚の脂によって黄にほんのり色づいた米を箸で持ち上げて口に運ぶ。じゅうぶんに満たされた体を少し動かし、公園のベンチでひと休み。アイスコーヒーの冷たさがうれしいほどの陽気。

電車に乗って西荻窪まで。古本屋で3冊買い、服屋でボトムを持ち帰る。夏でも履ける薄くて軽い黒のパンツにようやっと出会えてうれしい。気温が思ったよりもずっと上がり、さっき開けたばかりのパックのオレンジジュースをもう飲み干してしまった。遅い昼食にハーフサイズのカレーを食し、セゾンビールを一口もらう。すっと爽やかな後味が喉をすり抜けていく。

高円寺に着いたらヤンヤンへ。気になっていたジャンルの本を見かけてこれまたお買い上げ。今知りたいことはこういうことで、それを知るためにはどんな本を読むとよさそうなのか、とあれこれ話しながら道を進み、横道に逸れてJULAYに到着。カウンターでチャイを頼み、入り口近くの椅子を借りて飲む。

ちょうど植物の展示兼即売会をやっているらしく、常連と思しき人たちでずいぶん賑わっていた。洞穴めいた空間で副流煙にけぶられながらカップを傾けるのもあまりない機会。工事現場の足場のような鉄の階段をのぼった先には、見慣れない色形をしたサボテンがあちこちに並べられていた。地面に半身をうずめて頭を控えめに出している個体が愛らしかった。

2024/3/29

腹痛で目覚める。すっかりぬるくなった湯をコップに注いで錠剤を喉に流す。3月の平日も今日で最後。これで試用期間は終わり。なんにも言われなかったということは問題がなかったということだから、転職したってやっと胸を張って言える。

ナスがふと食べたくなってひき肉と椎茸といっしょに味噌やらなんやらで調理をしたが思ったよりも質素な味わいに。でも雨は止んだ。

2024/3/28

できない自分を真正面から見つめるのを恐れていそう、と言われ、この人は私をよく見ているな、ほんの3ヶ月で、と思う。本棚の中でくたびれていた太宰治人間失格』を手に取る。カビが生えそうなほど湿気を含んだ文に、頬を撫ぜられる心地がした。

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2024/3/27

濡れた髪を乾かす間に目をつぶる。紐を縒るみたいにして今朝の夢の手触りを思い返す。とっくに過去形になった人間が今更立ち現れるはずがないのに。そのうえ都合よく奪い合うのだから。さすがに笑ってしまう。

真っ白なミルクを注ぎ入れられた紅茶みたいに、あんなに澄んでいた煉瓦色の湖がとっぷりと甘く曇っていく。唇を湿らす乳の厚みが、嫌いで好きで憎らしかった。