ことのあらまし

日々のあらまし、いつか平気になるための記録

2023/11/20

脚がだるくて部屋の中をうろうろとする。歩く日と歩かない日の差が著しいから変につかれているんだろう。在宅勤務しきりの日も散歩は欠かせないなと改めて。

ここに書いたり本にしたりしている自身の日々の記録のことを、言葉どおりの「日記」としてはあまりとらえていないのかもしれない、と考える。それは他人の日記やそれがまとめられた冊子などを読むと特に感じるところである。

嘘を記しているわけではないが、かといってありのままをそのままに書いているわけでもない。出来事があったその日のうちに公開せず、数日ずらすことで推敲の猶予を与えているのも、意図を含んだ仕草だ。でもそれが不義理であったり不誠実であったり日記本来の魅力を失わせる邪道な振る舞いだったりするとは思わない。

他人に読まれうるか読まれえないかってとても大きな違いだ。その違いは書き表して残し広める対象に否応なしに反映される。と思うのだけれど、それは単に私個人の考えであって、いつも誰にでも共通するものではない。書く人それぞれの姿勢の差異によって、生まれ出でるものにも異なりが生まれる。そんな当たり前のことに、しかし静かに驚いている。

間違っていないと信じたい気持ちと、正しいわけじゃないと確かめたい気持ちが、寄り添って胸の淵に座りこんでいる。絶対なんてないし白黒つけられることばかりでもない。大概の大半は境界にあって、その時々で色すら変わるってことを、なるべくいつでもわかっていたい。