日記を人に読まれるのって恥ずかしくないですか、と問われて、そうか、普通は恥ずかしいものなのか、と立ち止まる。
言われてみれば本当に知られたくないことは書かないようにしている。でもそれは知られる私が恥ずかしいからというよりも、そんなことを知ってしまう読み手の戸惑いをなるべく減らしたいから、というほうが意図に近い。
公の場に上げるために整えている表現や削っている内容ならごまんとあるが、それは他人の目に触れさせる際に当然生じる責任や義務のようなものだと思っていて、自分を守るためにおこなう考慮はあまり意識したことがなかった。
見られている。顔見知りのあの人に、かもしれないし、ずっと出会うことのない遠くの誰かに、かもしれない。というちょっとした緊迫感があるからこそ、背筋を伸ばして常に言葉に向き合えている。走り書きの、自分のためだけの文では、そこまで美しく書こうという気概を保てない。だから図々しくも他者の存在を借りて、毎日を記す理由にしている。
12/10の日記祭に委託販売で参加する旨を告知した。開催まで週末があと3回しかないことに気づいて、少し焦る。