ことのあらまし

日々のあらまし、いつか平気になるための記録

2024/3/5

脚を動かせば前に進めるのだから楽だ。物事は本当はもっともっと単純でむずかしいことなんて何にもない。そうであればいいのに。火曜は資源ごみの日だから走りやすい。すえたようなにおいがしなくて、路上も散らかっていないから。

腹を括ってやっつけたほうがいいものを、そうとわかりつつ腰が引けてしまうことを、ええいままよと予定に入れて、迫る長針におびえる。始まればなんとかなるとは知っているから、早く12を指してほしい。心配は先取りした未来を恐れる行為。どうせそのときになれば向き合う事態を前もって不安がるなんてもったいない。そう言われたある日を思い出す。逃げたいけど戦いたい。火蓋が切られればあとは。

関係のまだ成り立っていない間柄の人と、それを築くために踏み出し踏み込み均らしていくための会話がつづいて、椅子の背もたれに深く身を預けた。それは使い慣れない筋肉を急に動かして生まれる痛みとして至極当然なものであり、休めば落ち着くつかれではあるが、しかし気圧は今日も低く、ぐったりとして何も考えたくない。数分前にしでかした痴態や失言が、おそらく他人からすればどうともない態度の数々が、浮かんでは遅々とした歩みで脳内を巡る。徐行運転をする電車みたいに。

10日以上前の日記を整えながら、何を考え何を感じどう振る舞ったのかを思い出し、そのうち何をどれだけ記すのがふさわしいかと自分に問う。瞑想めいている。落としたい影の位置や見たい世界の毛並みを確かめている。これしかないと信じられる、パズルのピースとなるべき比喩を、求めて地中の奥深く、海の底まで潜っている。願わくばここで息絶えたい。