ことのあらまし

日々のあらまし、いつか平気になるための記録

2023/10/4

息をつく。スリープモードの真っ黒な画面の奥を天を仰ぐような心地で見つめる。hPaの変動を首筋にのしかかる重たさから感じ取る。

没頭していたい。脇目も振らず打ち込める何かを与えてほしい。手持ち無沙汰だとわるい想像ばかり働いてしまう。どれだけ気を揉んだところで他人の手中にある白球の行く末を変えることはできないのだから。祈りはほどほどに、あとは目の前のことに向き合って、気づいたら終わっていてくれ。

今よりずっと多弁だった頃の言葉たちを見返して少し恥ずかしくなった。的はずれなことを言っているわけではないにしても、狭い視野に映る全てをそれと気づかぬままつまびらかに語りつくそうとする態度がどこか幼く蕪雑で。

しかし別人に思えるほど遠くまで来られているのだとしたら喜ばしいことだとも取れる。比べるのはいつだって自分がいい。かつてを置き去りにして、まだまだ先へ行く。

舞城王太郎『されど私の可愛い檸檬』を読んだ。自らの家庭では理想の自分になれないと感じた登場人物がよその家に居場所を作り出す描写が印象的だった。

助ける、助けられるという構造は、仮に100%の善意によって成り立っていたとしても暗黙の上下関係を生み出し、刃向かえない、言い返せない、従わざるを得ない事態を引き起こす。その人なしではいられない状態をわざわざ作り出している点において、これはひとつの加害と言える。

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