ことのあらまし

日々のあらまし、いつか平気になるための記録

2023/12/31

慣れない寝床だからか昨夜はなかなか眠りにつけず、イヤホンを両耳にねじ込んで何度も聞いた馴染みのある曲を一番小さな音で流しながら祈るように目を閉じていた。

朝は自分でつけたアラームに予定通りに起こされ、父と母が並んで寝ている布団の脇を通って露天風呂へ。全身をほぐすようにあたためて深く息をつく。巡りのよくなった血が寝起きの体の中を隅々まで駆けていくのがわかる。もう7時も半ばだというのに外は薄暗く、どうやら霧が濃くかかって光があまり届いていない様子。

朝食を食べて部屋に戻り支度をしているうちに霧が晴れてきた。チェックアウトして車に荷物を預け、土産屋で焼きたての湯せんぺいの香りをかぎ、豆菓子を買う。

地獄の湯気の中を突っ切ってビードロ美術館へ。てっきり展示を観て回るのかと思いきや、1階の購買フロアだけで両親の用は済んだらしい。母がガラスペンを包んでもらっている間に窓際の薪ストーブに手をかざす。パチパチと薪が燃えて燻んだ香りがあたりを覆っている。

小雨が降ったり止んだりと落ち着かない。山を下る頃には持ち直していたらしいが後部座席で朝の寝不足を取り返していて気づいたらもう島原城の手前まで来ていた。

城内の展示を観て回る。島原一揆を代表とするキリスト教に関する資料が多く、神を信じるにも文字通り命懸けな時代や土地があることがわかる。マリア像や十字架の要素をこっそりと盛り込んだ仏像などを見るとその必死さは明らかだし、棄教を呑まない信者を熱湯を吹き上げる地獄に突き落とす処刑の残酷さには慄いてしまった。

城のてっぺんは四方に半島を見渡せる展望台として開かれていた。霧がかった山と海に囲まれる街のひとつひとつの建物や道路に営みが詰まっているのかと思うともっとゆっくり眺めていたかったけれど、ぶるりと体が震えるほど空気は冷たく、父も母も先に城から出てしまったようで、そそくさと駐車場へと戻る。

港まで移動して昼食にそばを食べ、フェリーに乗って帰途。行きよりも波が強く、ざぱざぱと飛沫を上げる海の白さが記憶に残った。

帰宅して荷解きをしたらあとは普段通りの実家で過ごす大晦日。年末らしい投稿が各種SNSで盛んな様子をたまに見ながら、日記を書いたり本を読んだり写真をレタッチしたり。気圧が不安定なのもあってあまり筆は進まず、書くより読む方が楽な日。岸政彦『はじめての沖縄』を読み終えて、金川晋吾『いなくなっていない父』を読み始める。

夕飯はマグロの照り焼きと刺身、大根の煮物、ほうれん草のおひたし、おから、具だくさんの味噌汁。紅白はほとんど見ず。帰りの飛行機がストライキの対象になりそう。