ことのあらまし

日々のあらまし、いつか平気になるための記録

2024/2/4

聴覚過敏の症状が日増しにひどくなるようで評判のいいイヤープラグを試しに買ってみたところ、まあまずまず。出先でも気兼ねなく着けられるくらいファッション性を欠くことなく、耳に入れたまま寝ても問題ないほど柔らかくて使い勝手がいいから、イヤホンと一緒にお守りとして持ち歩くことにする。

極端に高い声や一定のリズムで鳴りつづける振動など、特定の条件に当てはまる音を過剰にノイズと捉える傾向にある。それらの音を知覚すると、背中から首筋に向かって小さな虫が這うようなチリチリと差し迫る不快感に見舞われて、脳が徐々に締め上げられ動悸が激しくなり息がじわじわできなくなっていく。

概ねそれらを発している人に悪意はなく、無意識または不可抗力であることが大半だから、音を出さないでと頼むよりはよっぽどこちらが距離を置くなり耳を塞ぐなりするほうが手っ取り早い。ただ電器屋ファストフード店で濁流に飲まれるのは致し方ないとしても、静けさを売りにした喫茶店や私語厳禁のはずの銭湯でもルールから抜け出た音によってキリキリと頭に金具をねじ込まれないといけないとなると、供される空間のどこにも居場所なんてないように思えてくるし、逃げたところで逃げきれない気もしてくる。

安息の地はひとりで築きひとりで暮らすことによってしか得られないのかもしれない。そう諦めはじめている。誰かと共にあろうとするならこうやって耳に詰める何某かに家の中でだって頼ることになるし、相手にも音を立てないよう神経を使わせることになる。他者と過ごすためには大なり小なり歩み寄りが生じて然るべきだからそう思い詰めるほどのことでも、と考えるいっぽうで、日々少しずつ膨れていく吹き溜まりが、次第に目に余って来てもいる。