ことのあらまし

日々のあらまし、いつか平気になるための記録

2023/9/2

陽光に照らされて白く反射する町並みが、車窓の向こうを左から右に流れていく。通り過ぎる風景を視界の端に捉えながらする読書が一番捗る。川上弘美『神様 2011』宮沢賢治『よだかの星』を読んだ。

横浜のNEWoManで元同居人である友人とランチ。フォカッチャを手で割き、焼き魚を箸でほぐしながら、ここ1ヶ月のことを話す。なんで働くんだろうって考えてたんだけど、生きるため、収入を得るためだ、って再確認したよ。会社員として働いてお給料をもらう以外の方法で生きていくことだってできなくはないんだろうけれど、自分にはこのやり方が合ってるとも思ったし。それに今はまあ、ぼちぼち楽しいし。それでいいかなって。彼女の言葉にうなずきながら、以外の方法、で生きている友人たちのことを思い、そうして自分に視点を移す。

真っ当で賢く信頼の置ける人たちといっしょに、ゴールの見えない障害物競走や設計図の無いプラモデルづくりめいたあれこれを、それなりに楽しくやっている。そのうえ生活や娯楽に不便しないだけのお金をいただき、税金やらの面倒も代わりにやってもらえているだけでなく、自分には価値も可能性もあるのだと教えられているのだから、得すぎている気すらする。そもそも、を考えなければ、今がじゅうぶん最適なのかもしれない。ただそう決めて腰を据えようが、他を探しに席を立とうが、結末を負うのはいつも自分であることに変わりはないし、あの人ができるからといって私に向いているとも限らない。

せっかく横浜まで来たのだしと中華街まで足を延ばし、ちょうど先日はくるさんが求めていた清風楼のシュウマイを買って帰宅。家では同居人とその友人2名が真夏の公園でかき集めてきたセミの抜け殻を使って何やら企んでいた。ずっと自由研究みたいなことをして大真面目にはしゃいでいる彼らの姿を横で眺めさせてもらえるのはうれしい。本当はこうがいい、むしろこうあるべき、と感じるきっかけを、彼らの活動から見出すことだってある。

生きるために、死ぬまでの暇つぶしのために、人生の幸福度をできる限りたっぷりにするために、残されている時間のそこまで多くないことにたびたび気づきながら、もっとふざけていいはず、とか、もっと向こう見ずでもいいはず、とか、そんなに考え込んで不安がってもしょうがない、などと思いつつ、しかしまだ私はここに立っている。

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