ことのあらまし

日々のあらまし、いつか平気になるための記録

2024/1/21

いったんは、ひとまずは、と傍に寄せていた紙ものの選別をしてその半分以上を資源ごみにまとめた。手紙の類がたまりにたまって箱に収まらなくなってきたから100円均一だかどこかで買い足そう。それまではクリアファイルに入れて散らばらないようにしておく。同じように服の断捨離もしたいけど来週になるか。待ち合わせの時間が迫ってきたので渋谷に向かう。

ヒカリエの8階のBunkamura Galleryで『ジャパン・アヴァンギャルドポスター見本市』を観る。60〜70年台のアングラ演劇のポスターをまじまじと見つめながら、この頃の人たちは文字を読むことにも書くことにも今よりずっと耐性があったんだろうなと想像した。当然スマホやインターネットなどない時代だから手元でやすやすと画面を開くことはできない。だからこのように端から端まで執拗なまでにびっしりと言葉や絵の記された大判のポスターを前にしたら、素通りすることもカメラをかざすこともせずじっくりと、味わい尽くすように凝視して、得られるものは残さず得ていたんじゃないか。

そういえば私も、小学生のときに買ったCDは表面が擦り減るまで聞いたし、改行の位置を覚えるくらいには歌詞カードを何度も何度も読み込んだし、しまいにはルーズリーフに書き写して学校に持っていっていた。そんな風に骨までしゃぶるような楽しみ方をすることが減って久しいが、ひとつの作品からもらえるものはもっとたっぷりあるということを、観てもいない戯曲の広告を見て思った。

メキシコ料理屋でトルティーヤをつまみつつ、美容整形ってどうなの、とNちゃんとYちゃんと話す。体にメスを入れたり糸を挿れたり針を刺したりする行為は、一度やれば慣れるものなんだろうか。今までやったものの中ではレーシックが断トツで痛かったよ、と聞いて、ちょっぴり湧いていた興味はみるみるしぼんだ。

スクランブルスクエアを下から上までぐるぐると回ってみたけれどときめくアイテムには出会えず。今年も運命のブーツで街を闊歩することなく冬が終わりそうだ。 帰って早めに夕飯を食べ、2回分の洗濯物をランドリーにかけながら、歩きつかれた体を銭湯でほぐす。波打つ水面とゆらめく天井とを交互に見ながら深く息をついたら、また明日からの平日もがんばれそうな気がした。