ことのあらまし

日々のあらまし、いつか平気になるための記録

2024/2/15–18

2024/2/15

咳き込む頻度が増して肺のあたりの筋肉や骨に負荷がかかっている。鼻をかみすぎて肌が荒れてきたし耳も頭もボーッとする。でも熱が出ていたときほど意識に霞がかかる感覚は薄れてきた。寝ては起き、ドロヘドロを読んではまた寝る。元気になったら大葉入りの焼き餃子が食べたい。

 

2024/2/16

喉と頭の痛み、咳はまだつづくが、山は越えた。運動不足の解消と日光浴のため、人気のない道を選んで霊園を歩く。太陽を背に受けながら木々と墓の合間を縫ったら、体の中に溜まっていた毒素がしゅわしゅわと蒸発していくような気がした。

 

2024/2/17

発症から5日目。8割治った。引きずっていた体や頭の重たさが和らぎ、霊園に向かう道中にある跨線橋の階段をのぼるときもキツさを感じなくなってきている。痺れるような痛みが鼻と耳から頭にかけて残っているから、もうしばらくは安静に。

 

2024/2/18

頭が痛くない!咳も出ない!これは完治したかとよろこんだのも束の間、声を出すと喉にまだざらつきがあることがわかった。あと一息。

夕方に差し掛かる頃、黄色く染まりゆく空に浮かぶ青紫色のふくふくとした雲に目を細めていたら、犬の散歩をしている通りすがりの方に大丈夫?と声を掛けられた。具合でもわるいのか、それとも俳句でも詠まれているのかと気になったから、一応お声がけをしなくちゃと思って、ご迷惑でしたらごめんなさいね。そうほがらかに微笑むご婦人に、マスク越しにかすれた声で礼を伝え、おやすみなさいと互いに告げた。

ナン・シェパード『いきている山』を読み終える。知の対象は知るほどに育つ、という帰結に触れられたのがよかった。巡礼の旅それ自体が神を探求する手段のひとつであるように、山の中に入り山の内側を知ることは、自分の生の中に入り自分の存在を知ることにつながる。

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