ことのあらまし

日々のあらまし、いつか平気になるための記録

来ないバスを待つように

5月3日。晴天。書き物がひと段落したところで外に出て、パンを買い公園で食べる。ベンチに腰掛けてページをめくるのは坂口恭平『お金の学校』。

自分こそがやるべきだと心から思えることをやっていれば、見合った報酬は自ずと返ってくる。だからみんなやりたいことをやればいいし、やれることをもっと増やすといい。なんでもやれたらお金なんかほとんど要らない。他人を頼るから必要ってだけ。といったテンション。

彼の言葉はタックルまがいの勢いで背中を押してくる。押す力が強すぎてもはや圧倒される。すべての発言にうなずけるかはさておき、やれることを増やしたい、やれるって示したい、とは思う。

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乾いた喉をコーヒースタンドで潤し、近くのギャラリーにふらりと立ち寄る。古民家のようなこじんまりとした空間には、土の風合いを残した手作りの器が並んでいる。皿や花瓶の合間には短冊ほどの大きさの紙がまばらに置いてあり、見ると数行の詩が記されている。

店番をされている作家の方と目が合い、思いがけず会話が弾んだ。私も文を書いたり展示をしたり本をつくったりしてるんです、と伝えると、目をキラキラさせながらあれこれ話してくださった。仕事も家庭もあるけれど、自分ひとりの時間がほしくて、だから詩を書いたり土をこねたりしている、という話に共感する。生身の体のつくり手と、つくることについて話せたのがひさしぶりで、予期せぬ巡り合わせに胸が躍った。

彼女の詩は、対面したときに感じられた明るさとは裏腹に、どこか内向的に感じられた。記憶を失っていく祖母を描いた詩が、特に好きだった。