ことのあらまし

日々のあらまし、いつか平気になるための記録

2024/3/16

散歩する柴犬を2匹、窓越しの飼い猫を1匹、路上の地域猫を1匹。朝6時の住宅地を駆けると早起きな動物と目が合う。玄関を開けるとキャリーケースを傍らに三脚を背負う同居人が靴紐を整えていた。

彼を見送り家事を済ませ身支度を整えてもまだたっぷりと時間があって、今日はどんな一日にしようかと胸を踊らせる。しっかりした朝食をたまには、と思い立ち、古い木造アパートを改装したカフェまで。8時から提供している定食は期間ごとに内容が異なり、今は神奈川は真鶴の食材が用いられていた。黄金色の味噌汁に浮かぶ油揚げは席の日当たりのよさも相まって機嫌がよさそうだ。焼き魚や卵焼き、おひたしを箸で割いて湯気を立ち昇らせる白米と一緒に口に運んでいると、まるで旅館で過ごす朝のようにも。窓辺であたたまりながら食後のほうじ茶を飲みつつ、日記を覚え書く。

お腹を満たしたところでギャラリーを回ることに決め、まずは上野へ。花見客で賑わい始める公園を突っ切って上野の森美術館で『VOCA展』を観る。ついこの間も観た気がしたけれど前回からもう1年か。自分が今いるここはいったいどんな場所なのか、というある種個人的なテーマに、地に足を着けて向き合っている作品が多いように感じた。

行きがけにパン屋で買っておいたスコーンをベンチに座って食べて昼とし、初台に向かう。山手線に乗って代々木で降り、コーヒーを片手に30分ほど歩く。天気がよくて身軽だと都心の1駅2駅くらい容易に跨げる。ごおごおと音が響く首都高の下を潜るとき、この上を何トンもの車体が走っているのだと考えれば肝が冷えるが、道ゆく人は手元のスマホに熱心だ。建築物の隙間から覗く空があんまり青く、太陽を遮られた道路の裏面はずっしりと暗くて、そのコントラストの強さを東京の景色だと思う。

オペラシティアートギャラリーで『ガラスの器と静物画 山野アンダーソン陽子と18人の画家』を観る。言葉と写真と絵画とガラス作品とそれらを取り巻く光と影のすべてがよかった。口で吹いて手で回して熱して固めてつくる器はまったく同じ形になるものはひとつとしてなく、完全に均等で対称な形にすることも難しい。目に見えないほど微細な歪みや波が生じ、しかしそれは手に持ったときにふと馴染んで、触る指によろこびをもたらし、つける唇に快さを運ぶ。そのことを、空間に並べられた平面と立体と映像から、囲まれるようにして知る。

余韻を携えてfuzkueへ。金柑シロップの炭酸割りとベイクドチーズケーキをお供に読書に耽っていたらあっという間に2時間ちょっとが過ぎていた。帰りに新宿駅まで歩いていたら公衆トイレを見かけて、『PERFECT DAYS』を思い出した。